2019年12月12日木曜日

続「一隅を照らす」





滋賀県医師会誌に寄稿した内容です。

「一隅を照らす」
私は10歳の時に大津に転居し、当時国鉄湖西線「叡山」駅の冬の雪の多さと
ドアを手であけることに衝撃を受けました。
比叡山には何かと足を運ぶこともあり、比叡山高校の校門前にも「一隅を照らす」と
掲げられ何度も目にしていたものの、ほぼその意味を意識したことはあまりなく気づけば
約40年も過ぎていました。
当初は帰宅すれば出迎えてくれていた娘たちも、出迎えるどころかリビングで出くわせば
自室にさっさと逃げていき(出てくるのは小遣い要るときのみ)
元気に出迎えてくれていた愛犬も衰え、白内障に難聴で寝ていることがほとんど。
家内もその横で寝ていることがほとんど。
あまりに悲しいので、仔犬を兄弟で飼い初め、例えおやつ目的でも帰宅時に猛烈に
歓迎してくれるのに喜びを感じる日々でした。
たまには遠方へ犬(若い2頭)を連れて、散歩もどうだろうということで晩秋に行先を探すと
比叡山も堂内は無理でも犬連れOKということがネット検索で判明し
それでほぼ10年ぶりくらいの比叡山訪問となりました。
再び、目に入る「一隅を照らす」の文字も、いつもと違う「広場」で興奮気味の犬に引きずられ
気にもとめ(られ)ず、亡父が眠る阿弥陀堂だけには犬を外へ待機させ入って手を合わせてきました。
夕刻近づいてからの横川は人も少なく、こちらは紅葉がより美しくゆっくりした散歩となりました。
横川は滋賀医大の解剖実習後の慰霊式で訪れて以来、恐らく25年ぶりだと思います。
すっかり気を良くして、その次週湖東三山も見ごろということで、調べてみればこちらも「犬OK」と
いうことで、下調べついでに西明寺のホームページから「住職日記」というブログにたどりつきます。
https://saimyouji.com/monk2/#post-151
いや、心が洗われるような、名文の数々で反省することも多く、その日記「道心」で「一隅を照らす」の
よき解釈に出会うことになりました。
引用させていただくと
『一隅を照らす。この一隅とは、重箱のスミや端っこをさすのではなくて自分の持ち場のことです。
すなわち現在自分自身が関与している持ち場を守り、ベストを尽くすことを一隅を照らすと言います。
こういうポストにベストを尽くす人材こそ世の中になくてはならない国の宝だと言っておられるのであります。
もっとくだいて言いますと「一隅を照らす」ということはどんな嫌な仕事でも、この道心(向上心)をもって
ベストを尽くして行くと、だんだんと嫌な仕事も好きになってくるものです。
そしてその仕事が好きになってくると、その仕事にいろんな工夫を加えて、おもしろく仕事をするようになってくるので、
ますますその仕事が好きになってゆき、いつの間にかその職場になくてはならない存在になってゆくということです。
こういう人達がたくさん世の中にでてくると、いろんな場所が照らされて、世の中が明るくそして住みやすい場所に
なってくるということなのです。』
金剛輪寺、西明寺と早朝から愛犬たちと訪れましたが、本当に美しく心洗われる気がいたしました。
本当は、ここで終わるつもりでしたが、非常に残念な思いで再び「照一隅」と出会うことになるとは思いませんでした。
アフガニスタンの中村哲先生。
私が色々書くべきこともございません。週刊文春2016年9月1日号が追悼記事としてネットで検索可能です。
https://bunshun.jp/articles/-/16860
先生は精神科に入局され、うつ病、統合失調症の患者の話をとにかく聞き続ける日々だったそうです。
相手に寄り添うようにして、ただただその人の気持ちを理解しようと努めた経験がアフガニスタンで
文化も風習も異なる人たちと接する際に役だったそうです。
引用です。
『大切なのは彼らの生きる世界を受け入れ、自分の価値観を押し付けないことです。
単に違いであるものに対して、勝手に白黒をつけてしまうことが様々な問題を生む。そう考える癖がつきました。』
心より中村先生のご冥福をお祈り申し上げます。
肉体は滅んでも「精神」は生きる。こころのなか、で、生きる、生き続ける。
この「生きる」ってのは、結局、「ことば」なのではないのでしょうか。


2019年11月24日日曜日

紅葉狩り 一隅を照らす

先月から色々行事も立て込んでおり、診療もワクチン接種が佳境
内視鏡検査も、今年はいっぱい、来年1月も埋まりつつあり
「ぎゅうぎゅう」の状況ですが、「忙しい」と言っておられず・・・です。
「忙」という字は「心」を「亡くす」
患者さんからもこれまでの対応と違うと怒られることはあり
(連日100名以上の患者さん対応になると、心療内科的診察は時間的にもできなくなり
 専門医・専門施設に委ねざるを得ません)
こちらもそれで凹むのですが
近いが故?暫く出かけてなかった パワースポット 比叡山に出かけてきました。
滋賀医大 解剖実習後の慰霊にも訪れた横川
当然、犬は御堂には近づけず。
亡父が眠る阿弥陀堂にも久々に。
湖東三山も「犬OK」(ただマナー厳守)とのことで
勤労感謝の日も早朝から 金剛輪寺と
西明寺へ
「一隅を照らす」わかっているようでわかっておらず
西明寺ご住職の「住職日記」
「道心」
大変勉強になりました。そして反省。
帰宅後、普段あまり顔を合わさなくなった娘たちから「お仕事お疲れ様」の
プレゼントをもらい、滅茶苦茶嬉しかったという、いい休日でした。
これから、寺社巡りと俳句でも始めましょうかな?


2019年10月27日日曜日

防災

しばらく更新が滞っていました。

大津市を7つのエリアに分け、それぞれで
医師、看護師、薬剤師、行政、医療福祉事務、介護職など
多職種での勉強会を定期開催していますが
本年度から堅田エリアの担当になり、忙しくなっていました。

先日は、茨木市から医師会の防災担当理事の先生を講師にお招きして
「大阪北部地震とこれからの防災対策」としての勉強会開催しました。

「備えあれば患いなし」ではあるものの
「平時」とことなる「災害時」医療 
住民の理解、協力がないと麻痺してしまいます。

最大多数の最大幸福
「ひとりの命は地球より重い」なんて平時とは全く違うわけです。

発災後、72時間が生死の境目
基本、自身で歩ける、動ける方は後回し
動けない災害弱者は動ける人で(助ける 移動させる できれば予め)

息ができない 心臓が止まりそう
最初はまず、ひとりでも多くを救う
(「痛い」「しんどい」のは気の毒だけど後回し)

軽症が押し寄せてパンクする夜間の救急や
ほぼ「老衰」であるのに救急搬送されるケースにも共通する問題が
ありそうです。

復旧は早いが復興は時間がかかる。
まだまだ大変だそうです。

報道されない裏側、あるいは行間を読む智慧が私を含め必要です。



2019年8月15日木曜日

お盆休み

ゴールデンウィーク以来のダイビング休暇を頂いてきました。
台風の影響で海況は悪く、さらに、帰りも1日早める結果となりましたが
無事に帰ってこれて何よりでした。
今回は3年ぶりの宮古でした。
台風で物資が止まったため、機材は届かない、コンビニやスーパーには
食材すらなしと大変でした。
1日できた「本当の休日」で、今日は水槽掃除と書類・カルテ整理で
ほぼ篭っておりました。
いろいろ掲示をなおしたり、やりかえるのも結構時間がかかります。



2019年7月15日月曜日

水槽が・・・増えてしまいました

メインの水槽で、ミッキーマウスプラティが大繁殖してしまい
エビが喰われる エサ取り競争に負けた小魚が死ぬなど
もう限界だったので
以前のクリニックから持ってきてた休眠状態の水槽を復活させました。
底にはもうなにもいれてません。
メンテナンス性重視。

2019年5月31日金曜日

学生実習

母校 滋賀医大の学生実習にご協力いただけました皆さま
ありがとうございました。

ほぼ毎年、5年生を1名 5-9月で受け入れています。
解剖学から、臓器別、専門別、さらに細かく勉強してきているはず?
なのですが
肝心の、その「人」として
「生活」として(あるいは地域からとして)
全部ひっくるめて背景から、人、そして、最後に病気、治療をみていくという
逆の視点からからの訓練はなかなかできるものではありません。
(そう言う私もできていないです。)

採血はおろか、血圧計、聴診器もどうなのか???
怪しげなこともありますが
自動車運転と同じで実地研修積まないとどうしようもないこともあります。
そこから「知識」と結びつき、新たな「学習意欲」につながればと
期待しております。

「あの先生は私が育てたんだ」というくらいのつもりで
今後もご協力いただければ幸いです。
よろしくお願いします。

2019年4月18日木曜日

ゴールデンウィーク

10連休報道があったときから「まず休めない」と覚悟はしてました。
30日分の仕事、のこり20日でこなすには1.5倍稼働になるわけですが
年始のインフルエンザ+通常診療のような事態
(一日170名、診療終了が17時のところが20時)
これでは患者さんも私もたまったものではありません。
近隣の医療機関(個人医院)はどうされるのかわかりませんが
琵琶湖大橋病院は4/30 5/2 診療
大津日赤は「10連休」 となります。
また、医薬品資材(卸)が休みになったり、当院のような院外処方の機関では
調剤薬局が休んでしまうと「診るだけ」になってしまいます。
幸い、開院する4/30 5/1 5/2は近隣調剤薬局は対応してもらえます。

大津市としては自主的な開院はせずとも、従来の休日診療体制で充分という判断のようで
憤慨しているのですが、
意思決定されている方々がきっちり10連休されるのか
個人的には凄く興味のあるところです。

最近は自分一人でできることの限界を感じています。
開院当初はまだ気力体力充分で時間もあったので「なんでもやってやるわー!」という
気概でしたが
老眼が進行してからさらに衰えを感じざるを得ません。
自分を助けるのは自分でしかない ので
もう1名の常勤医師の「一本釣り」をあれこれ画策するのですが
これも「業者」に頼らないともうどうしようもないのでしょうか?
紹介手数料、相場は年収の30%ですから、医師の場合ものすごい金額で
しかも、さっさと辞められるリスクもありますし。
コロコロやめていろいろ勤務先増やしてくれる人は、業者の上お得意様ですから。

ゴールデンウィーク後半はあまり人のいなさそうな海の中で過ごすつもりでいますが。

2019年3月21日木曜日

いろいろ更新作業

今日は春分の日。
休日ですが、いつものようにワンコの散歩のあと
朝から大津市の「肺がん検診従事者講習会」に出席、勉強してきました。
実際レントゲン写真にはっきり写る肺がんの方が少なく、
難しい症例が多いのですが、今回も実症例写真でしっかり目(老眼ですが)
アタマ(一部薄毛ですが)鍛えてきました。
気づかない方も多いかもしれませんが 
ときどき、絵画の入替もしています。
診察室前 モニターの「つぶやき」も更新しました。
最近は、在宅看取関連ばかりですが
いよいよ、「アドバンスト・ケア・プランニング」(人生会議)という
総本山について、いつものように人の褌資料で用意しました。
連動企画で紙資料も用意しましたのでご自由にお持ちかえりください。

玄関、風除室に、靴の取り違え防止のため番号札も用意してみましたが
あまり利用されず
また、予想通りすでに札の持ち帰りが発生し・・・。
1組でプレモル1缶買えるんですけどね。
写真は去年の花見です。

2019年1月5日土曜日

新年おめでとうございます

新年おめでとうございます。
本日、1月5日から当院仕事始めとなりました。
1日遅いじゃないか!と怒られるかもしれませんが、毎年、12月29日まで
プラス1日診療して、その分仕事始めを遅くさせていただいてます。
今年も寒いながら天気はよく、初日の出を自宅近くから愛犬たちと見ることができました。
患者さんともお会いすることはしばしばです。
普通に休んで、普通にごはんが家族と食べられる、貴重な休みです。

大変ありがたいことではあるのですが休んだ分だけ仕事は待っててくれてまして
本日(1月5日)も耳鼻科や予防接種があるとはいえ延べ140名ほどの患者さんでした。
しっかり休んだ後なので気力体力OKなんですが
これがずーっと続くのかと思うと不安になってしまいます。

つい顔に出るのか、
「大丈夫ですか?」と常連の患者さんから逆に当方の身体を心配していただいたり
googleの口コミではかなり辛辣な批判を頂いたり
(適応外のクスリを要求されても診断が合わないと処方のしようがないのですが)
時間気にせず丁寧な説明診療ができればいいのですが。
ある程度断定的(トリアージとまでいかないのですが)当方でできる診療範囲を
超える部分は専門機関に任さざるを得ない状況でもあります。

80歳超えて診療されていた藤澤先生は本当にすごかった!のです。改めて。
昨年4月閉院されてから当院、特に私にとっては「許容限界」がこうも簡単に
くるとは思わず、今後のインフルエンザ診療での混雑がどう乗り切れるのか
もうなるようにしかならないかと、諦めもしています。
診断、診療の質というよりも「間違い」が発生しないようにと、
心配というより苦痛に近い「気持ち悪さ」が混雑期にはあるのも事実です。

やっぱり、普通じゃないんだと思ってます。
身の丈にあった仕事にしていかないと長続きしないですね。多分。
自分はまだ若いんだから と 自身で鼓舞してきたつもりも
もう若くない と逃げてます。
「もう誰かに一部仕事をお願いしなければ!」ということなんですが
医師の確保は本当に大変です。
お金積んだら、恐らく、来ます。(もちろん凄い年俸)
でも、すぐ、どこかへ行きます。(もっと条件のよいところ)
お金で動く人は、恐らく、次もお金で動きます。
でも、仕事って回していかなきゃしかたない、例え医療だとしても理念なんだかんだより
自身家族の生活あっての「仕事」は皆同じなんです。

私自身は、ホント「ふつーのオッサン」です。
オッサンになるまでは、内視鏡検査の数は同世代の先生に負けないくらいの
数こなして修行はしてましたが。
なるべく、「ふつーのオッサン」が、どう医療(介護・福祉も)と
向き合っていくのがいいのか、当然最新の医療知識の勉強はあるわけですけど
最近では、「医療が生活(人生)を邪魔しないようにするのが最良」と感じることが
特に終末期では多いです。

「旅」は本当にいい気分転換になります。
非日常 に いるから 日常 を考えることができるんですね。
ゆっくり読書できるのもこんな時くらい。
今回は「こんな夜更けにバナナかよ」だったのですが
年末年始のTVでされる映画の宣伝から、「活字」で読みたくなりました。
で、結論、ひとことならやっぱり、よかった、です。
「障害とは」「自立とは」「介護とは」「ボランティアとは」という点でも
解説なども詳しく教科書な良著には違いないのですが
一方で、非常に生々しいというか、活字にしにくい問題(死生観価値観含め)を
孕んだテーマですのでどうだろうという思いがあったのですが
筆者も正直に悩みながら執筆されたと書かれているものの本当に細やかな配慮もあって
医療福祉従事者はその「行間」を(制度た時間的にもずれが生じているので)読むべきと
思いました。
何だか書いていてよくわからなくなっていますが
「変わっていくもの 変わらないもの」で
本質的に「何のために生きるのか」「生きているってどういうことなのか」
「健常」と「障害」の差 「不便が不幸なのか 何が『幸せ』なのか」
人それぞれ最期まで悩み考えなきゃいけないし、正解も不正解もない
お釈迦さまの時代から変わらんのだなあ という自身の結論に落ち着くのですが。
タイトルの発言主がその当時のボランティア体験に特別な感覚、思い出を現在持ってない
というのも、あとがきにあるわけですが、意外というか面白い、活字ならではかと。
大変分厚い本ですが、わからないところ、解説部分などはすっとばして
まずはざーっと読んでいただいて、映画見て、また読み直す ってのが
いいのかもしれません。
大泉洋も高畑充希も嫌いじゃないんですけど、何か、自分の感想、感覚が
映画見ると崩れそう(壊されそう?)なので、恐らく私は映画見ません。

最近は老眼がどんどんひどくなるのが悩みです。キータイプはまだいいのですが
文字を書くのが苦痛になってきました。
メガネをいろいろ換えたりしますが、もともとのカナクギ書体がさらにひどくなってます。